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よくきく
「ねじれ国会」
について
なにか最近、なんでもかんでも「ねじれ国会」のせいにする風潮がある気がするんですよね。
たとえば国会で重要法案が通らないのも、ガソリン税問題でもテレビに登場する論客の中にはねじれ国会を正常化しないと…みたいな主張を覗かせる者もいます。
政治として正常でしょ
しかし私から言わせるとこんなメチャクチャな言葉はないと思うんです。
“自民・公明政権にはもう政治を任せられなくなった”として正当な選挙を経て野党が参議院で多数派になったんです。
これをどうして「ねじれている」と表現するのか。むしろ現代民主主義の国として正常な状態ではないですか。
東国原知事が「ねじれ国会で国際社会の信頼を失いつつある」なんて寝ぼけたことをいってますが、与野党逆転それ自体で国際社会から失われる信頼などありません。
東国原知事の発言はむしろ与党の無策を批判した言葉でしたが、ねじれ国会という言葉は、まるで与党に配慮しない野党が悪いとでもいいたげな言葉ですから、ここで使えば話がおかしくなります。
誰が使っているか
このねじれ国会という言葉、“誰が”そう表現しているのかを考えねばなりません。
三種類いる気がするんですよね。
一つは自民、公明政権側の人たち。与野党逆転という歴史的展開において、国民のなかに先行きへの不安感を作り出して水をさそうとする行為として「ねじれ」という言葉を使うわけです。
もう一つは自民でも民主でもどっちでもいい人たち。要は政治が自分たちの儲けにつながればいいという人間で、共産党でなきゃ勝つのはどっちでもいいから早くケリをつけてほしいという連中です。
この人たちにとってはそれこそ自民と民主が大連立をしてくれたほうがいいとなるでしょう。
最後は、なんとなく世の流れに流されて話している人たち。みんながそういってるんで適当にそういっている人たちです。
選挙結果を受けた与党の対応が重要
やはり選挙結果を受けて、野党の主張にも耳を傾ける政治というのが本来のあり方です。
重要法案については作成の段階から野党に話をつけるのが筋でしょう。そうすれば、たとえ応援した政党が政権を取れなくてもちゃんと自分の一票は政治を動かしているということを実感できて、国民にとって政治がぐっと身近になると思います。
まあ、民主党に“何でも反対しとこうか”って節が無いこともありません。ガソリン税の暫定税率の問題などは明らかに野党の筋が通っていますが、これまでの民主党の姿勢によって、まるでごねているかのようにさえ報道するメディアもあります。
ぶれない政治が再評価
右往左往する政治の弊害で、いい主張をしていても何か不安定に思われるってわけです。
その点で、様々に発生する時事問題に一貫した方針を持つ日本共産党が注目されています。そのぶれない姿勢がこのところ再評価されてきているのですね。
(08.3.31)
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