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本日!日比谷公会堂で
日本共産党86周年記念演説会
日本共産党の誕生日は7月15日です。86年前の1922年(大正11年)に誕生しました。
実は杉並には縁があって、高円寺駅、阿佐ヶ谷駅、西荻窪駅と同じ誕生日です(それは縁か…)。
民主主義の世の中を目指して誕生
できた年をみてピンと来る方はいるでしょうか。「大正11年」。
そうです。日本共産党が誕生する背景には大正デモクラシーがあり、もっとさかのぼれば自由民権運動などの流れが脈々と受け継がれていたのです。
よくソ連ができたあと、その日本支部として誕生したという見方をする人がいますが、日本の民衆運動の流れを受けて誕生した、というのが歴史です。
ですから、日本共産党が設立当初もっとも強く訴えたのは社会主義革命ではなく民主主義革命でした。
当時、韓国を併合し植民地化していた日本。そのなかで民族独立、反戦平和、国民主権を訴えた唯一の政党でした。
動かぬ座標
当時、思想犯を取り締まるのに使われた治安維持法は、社会主義者は死刑にしていません。一番重くて懲役10年です。
しかし、民主主義を唱えたものは、天皇制(国体)を変革せしめんとするものとして死刑が与えられました。“天皇制のもとでの社会主義”など矛盾する主張をする政党があったりもするなか、日本共産党は激烈な拷問にも耐えながら国民主権を訴え抜いたのでした。
戦中を通して千数百人が虐殺され、6万人もの治安維持法による逮捕者をだしました。逆にみれば数十人で結党した党が短期間にこれほどまでに同志を広げていたことがわかります。
憲法9条の会の呼びかけ人の一人、鶴見俊輔氏は戦後著書の中で、戦中の日本共産党は「動かぬ座標」であった、良心の「北斗七星」(その星を見ればどの程度自分が本筋からずれたのかがわかる)であったと表現しました。
『蟹工船』の小林多喜二
今話題の『蟹工船』を書いた小林多喜二。実は実家は阿佐ヶ谷にありました。
逮捕され拷問を受けて数時間で虐殺された多喜二の亡骸は阿佐ヶ谷に移送されてきたのです。
日本共産党と杉並区。いま何か結びつきを感じませんか?動き出しそうな予感。日比谷公会堂での志位委員長の演説でもそんな情勢が語られるはずです。
日時場所:7月22日(火) 18:30〜 日比谷公会堂
満員になる恐れ強し。早めのご来場を。
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