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原田あきら
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幹事長に就任しました。

 新生日本共産党杉並区議団の幹事長に就任しました。
 6人の候補者が全員20位以上、4人が10位以内という画期的な勝利を果たした党区議団の幹事長に就任する緊張感に、今はお腹いっぱい、じゃなかった胸いっぱいです(団体の定期総会の懇親会に出ずっぱりでして…)。
 就任後、議会に張り付きすぎて地域にほぼ入れていません。早くも「あそこにいったのにうちにはこないんだな」とか、「あんだけ票とって天狗になってるんじゃないのか」などの声があがり始めています…う〜ん、幹事長って意外に損な役回りなんですよね。同じことを自民党の富本区議も以前いってました。

思い出す4年前…

 幹事長に就任したのはこれで二回目ですね。思えば前回は4年前…35歳で迎えた3期目当選の直後でした。前回は4月26日が投票日だったのですが、区議会議員というのは4月末日まで区議会議員の任期が続いています。選挙が終わった後、たとえ落選していても数日間は前期の区議会議員なのです。そんな4年前の4月27・28日に行われた旧区議会の幹事長が集まる会議で、突如として公明党から交渉会派(議会運営における相当の権利を有することのできる会派)の基準を区議3人から4人に引き上げようと提案がありました。
これは大変なことでした。当時、生活者ネットが区議選で一人増の3人となって交渉会派入りが確定し、さらには創新党や無所属区民派、みどりの未来など二人会派にもう一人が加わればいずれも交渉会派となる可能性を秘めていた情勢でした。
 その中で、あえて基準を3人から4人に引き上げる行為は、少数会派の議会運営への参加を制限すると見られておかしくないことです。

少数会派の権利を守るために闘う

 日本共産党は4年前も6議席を有し、大きな会派の一つでしたが、少数会派の権利を守るために奮闘しました。その先頭に立って闘った私は理事会から追放され、党区議団の委員長ポスト、副委員長ポストは不当に排除され、自公民らが山分けするという事態に陥ったのです。
 しかし、議会のポストは失ったものの、こうした党区議団の姿勢は住民や平和団体などから高い評価を受け、その後の区議会での共闘体制をつくるという重大な成果を得ました。2012年、脱原発杉並デモという5千人の地域デモが杉並に誕生しましたが、このときも超党派の動きがつくられたのはこうした区議会での闘いの賜物でした。

他区の共産党と比べても躍進度が違う

 共産党の姿勢への共感とともに、若さを十分に発揮したその後の多彩な活動と広報力で、党区議団は地域での露出度が非常に高い区議団に変化・発展しました。その結果、23区でも見ても選挙における得票率の伸びが全都トップレベル。5年前は23区で下から何番目だった得票率が、この前の年末解散総選挙ではトップ3に。今回の区議選も6人で24000票と、8人で22000票だった公明党に大きく水をあけました。次回は7人、いや8人の区議団に挑戦できる数値です。
 あの4年前の区議会での闘いが、党区議団を鍛え、成長させてくれたのです(ちなみに区議会ポストは1年後には回復していましたが)。

妥協は許さない

 この4年間は、区立施設再編問題で杉並は大きく揺れることになります。いや、揺らさねばなりません。また、国政でも安倍自公政権の暴走を地方から止める動きが重要になっています。議会での馴れ合い、区長との馴れ合いから得られるものなど、ある人にはあるのかもしれませんが、日本共産党にとってはいささかもありません。ましてやこの激動の情勢に至ってはなおさらです。自らの信念を明確に示し、率直に討議してこそ政治。一切の妥協を許さず、今後の4年間に全力を傾けることをお誓い申し上げます。
 乞うご期待!
(15.5.21)
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